被災地の犬たち




私自身の中でも 様々な気持ちが入り混じっている状態で
何からお話したらいいのか迷うところなのですが、
まず最初に被災地(大船渡市・陸前高田市)の訪問の報告から始めたいと思います。


2011年3月21日 盛岡ではガソリンの供給量が増え始めてきました。

数日前は 何時間も並ばないと給油出来ない、給油制限(20リッターまでとか3000円以内とか)も
ありましたが、営業スタンドの数も増え、この日はガソリン満タンにすることが出来ました。

日刊子犬生活は商品の発送が出来ない状態ということもあり、
犬丈夫ドッグフードと炭ペットシーツを、出来るだけ積んで、被災地に行こうと決めました。

大船渡市を選んだのは、嫁の実家や親戚が多く、そのつながりで
過去に子犬をお渡ししたご家族も多かったという理由からです。

でも行くとは決めたものの、緊張のせいかあまり眠れませんでした。。


2011年3月22日 大船渡市へ

早朝 盛岡から沿岸への国道283号線と107号線を通って大船渡へ向かう。
3月22日現在、凍結路面や道路の損壊は全く無く、スムーズに到着(1時間40分ほど)
県外から訪れる際も、これからは普通タイヤでも行けると思います。

大船渡市内は 壊滅地区を除けば 他の市や町と同じように
車が走り、人もたくさん居ます。
ちょっと違う点は、ガソリンスタンドに並ぶ車より、
手にポリタンクやガソリン携行缶を持った行列が多い事です。
早朝から並ぶのはどんなに寒くてきついことだろうかと、思わずにはいられません。。


大船渡市・猪川小学校へ

数十人が避難している猪川小学校へ行ったところ、
犬や猫など動物は見つけられませんでした。

市職員の方がいらっしゃったので 話しかけてみると、
「大船渡市では 各避難所のペットの数は把握してません。
まずは何より人命優先ですから」と。

ごもっともな返答だが、ペットを探しに来ている人に正面切って言うことではないだろうと思う。

猪川小学校には最低限の物資はほとんどが揃っていました。
食事やお菓子・オムツ・ミルクやお水など。

小さい赤ちゃんを抱いていたお母さんに、「何か足りないものはありますか?」と
聞いてみると、「とりあえず今のところはないです」と明るくこたえてくれました。


大船渡市・福祉の里へ

ここも少ないながらも物資は届いていました。
2匹のワンコが避難していました。チワワと大型の雑種かな?
避難所の中には入れれないので、夜間は車の中で寝かしているとの事。
それとまだドッグフードが届いていないので お菓子類を与えていると。

夜間使用するペットシーツも無いとの事だったので
2匹分の犬丈夫と炭ペットシーツを置いてきました。


他数箇所の避難所を回ってみたのですが、ワンコの姿は見受けられず。。。

違う地域の避難所に向かうことにしました。


義理の父と会う

避難所に向かう途中、
道端で片付けをしていた義理の父(隆三さん)を発見。
隆三さん親戚全員の無事を喜び、
「何か足りないものある?」と聞くと、
「タバコくれ!」と。

そう言ってくるだろうと思い、盛岡のコンビニで
買ってきておいたのだよ!ホッホッホ!
見たことないくらいの笑顔で喜んでた(笑)



大船渡市・綾里(りょうり)地区へ

隆三さんのススメもあり、被害の大きかった綾里地区へ向かう。
大船渡市から約20キロの道のり。

綾里へ向かう道は、ホームセンターや大小のお店が立ち並んでいた活気のある所だった。
しかし今回の地震でほぼ壊滅状態。
直立している車が多数あり、泥まみれ。

この道は海岸沿いの道なので
海のすぐ横をひたすら走っていく。

携帯の写メなので画像がしょぼいのだが、
海は流れ出た重油で真っ黒。

海の匂い、重油の臭い、
打ち上げられた魚の腐った臭いが入り混じっている。



数キロ進むと、壊れてしまった民家・船などが至るところに散らばっている。


働く人々をみんなに見せてあげたい!

商店街を過ぎると 今度は多くの民家が立ち並んでいる。
ほとんどが損壊しているし、重油まみれで真っ黒。

そんな中、壊れた家と、流れ着いた木材・木々などを片付けている人が多数いる。
ほとんどは働ける世代の男ばかりだが、中にはおばさんやおばあさんも
とてつもなく大きな木々をのこぎりで切り、細かくしてから運んだりしている。

テレビで報道されているような、
”家族の思い出探しに家のあった場所に戻り、涙を流すだけ”
のシーンは見えてこない。

もちろん思い出の品に思いをはせて涙することもあるだろうとは思うが、
それ以上に、自分ができることに集中しているように見てとれた。

笑顔ではないにせよ、眉間にしわを寄せてやっているわけでもない。
とにかく片付けることをみんなやっている。

その場面を写真に収めれば 皆様に見せられるのだが、
彼らにカメラを向けるのは、気がひけたのでやめておきました。


綾里の避難所へ

綾里で大きな避難所だった海洋B&Gセンターに着いた。
しかし そこに居たのは 徳州会系病院の派遣医師たち4人。20代かな?かなり若い感じ。

ついさっき違う避難所に移ったとのこと。
早速そちらに向かう。

海洋B&Gセンターに比べると 3分の1程度の大きさの避難所だった。
引越し中の様子も見ることが出来た。
体の弱い老人や子供達がほとんど。
やはり働ける人はみんな外に出て働いているのだろう。

この避難所を統括している方に話を聞いてみると、やはりココにも犬は居ないと言う。

現在 ライフラインが復活しつつあることもあって
家が残っているところに 身を寄せ合っての生活が始まっているようです。
避難所ではお風呂に入れないので、貸し湯をしたり。
よって避難所も縮小傾向にあるということらしいです。


道行く人に声を掛ける

ここまでワンコを見つけられないとは・・・予想外だった。
車を停めて、道行くおばあさんに、
「ここら辺で犬飼っているとこあるかなあ?」

見知らぬ人に声を掛けるのが苦手な私も ここ数日は掛けられるようになった。
おばあさんもフレンドリーに返してくれる。

「あそごの家とあの奥の家で飼ってらよお。ほが(他)では飼ってねえなあ」
「ありがとね!行ってみる」

おばあさんは 私がちゃんとその家に辿り着けるかどうか、
立ち止まってこちらを見てるのがバックミラーに映る。
こういう優しさが心に沁みるなあ。


思い切ってピンポン作戦


玄関先に黒柴がいたので思い切ってピンポン!
3年生くらいの男の子が出てきたので、
「ドッグフード間に合ってる?」と聞いてみると無くなりそうだと。

ペットシーツは使わないようなので
犬丈夫だけ渡してきた。

「あの家にも犬が2匹いるよ」
と教えてくれたのでそちらにも犬丈夫と炭シーツを。


どちらのお宅もギリギリ被災を免れた家。
普段ドッグフードを買っていたホームセンターも全滅なので
ドッグフードに困っていたらしい。

それから大船渡市に戻る道すがら、
ギリギリ被災を免れたお家を中心に ピンポン作戦をしてみた。


「犬も家もみんな流されたんだあ。仕方ねえんだあ。」

沢山の人に犬はいるか?聞いていくと、
「犬も家もみんな流されたんだあ。仕方ねえんだあ。」
(方言混じりで、けっして突き放すような感じではない)

そうか。。
犬も家と一緒に流されてしまったから、
犬と一緒に避難所にいる人が少なかったのか。。
きっと多くのワンコが流されてしまったんだろうなあ。
悲しいがこれが現実なのだろう。


被災を免れた犬を探しに

大船渡市で唯一(かな?)開いていたスーパーに向かう。
駐車場はいっぱい。人でごった返していた。

ここに来たのは、ドッグフードやシーツが供給されているか?の確認。
売り場に行くと、缶詰フード少々を残して フードとシーツは売り切れ。。

売り場にフードを探しに来た30代くらいの男性に、
「ドッグフード足りないんですか?」と聞くと、「無いんです・・・」「じゃあ、あげますよ!」と
犬丈夫を積んだ車まで連れて行って渡したら 「うわー!」って喜んでくれた。

同じようにフード売り場に来ていた数人と、
ワンコ同乗の車を見つけては声を掛け、犬丈夫を渡す。
スーパーの営業妨害になってしまうのでは?とも思ったが、
フードが無いのだから許してくれるだろう。と思う。というかそう願いたい。


陸前高田へ

大船渡市から盛岡方面へ向かい、20キロほど行くと
岩手では被害の大きかった陸前高田市への交差点がある。

その交差点を曲がると、あとはひたすら山に挟まれた2車線の道路が続く。
何度も通ったことのある道なので まだまだ海が先にあるのは分かっていた。

でも私が予想していたよりももっと奥地まで津波がきていた。
ここからは海はずーっと向こう。私にはほとんど見えない。
山間部の川が大量に逆流してきたような状態だったのだろう。



ここでもあと数メートルで津波が到達するところだった
お家に伺った。
写真はマリちゃん(柴か雑種)
やはりドッグフードが足りなかった様子。
他数軒も同じように困っていたので犬丈夫を。




陸前高田を海に向かっていく道中、
「もし また津波が来てしまったら・・・どうなるんだろう・・・」
と考えてしまう。

運転中は地震・余震にまったく気が付かない。
道路は自衛隊・緊急車両・普通車などである程度の交通量があり、
突然バックすることなんかは出来ない。

車を乗り捨てたとしても、小高いところに行くまでには、
倒壊家屋のがれきを越えて、山の斜面を登らなくてはならない。
私は怖くなった。。

そんな中で、復旧作業にあたる市民・援助隊の方々には
頭が下がる思いです。


道路確認のため、花巻ルートで盛岡へ

花巻空港の運転も再開されたので
今後 被災地を訪れる方のためにも道路状況を確認。

大船渡から花巻までの107号線も
22日現在は 凍結路面・道路の損壊も一切無し。
花巻から盛岡も道路状況は安全です。

補足:友人からの情報

友人は盛岡から仙台まで 国道4号線を走ったそうですが、
盛岡から一関までは道路状況は安全。

ただ一関を越えたあたりから、10箇所ほど道路に大きな段差が出来ていて、
注意が必要とのことでした。


反省とお詫び

3月14日のメールマガジンにて、被災者に届けるべく
メッセージを募集し、200件ほどのメッセージが集まったのですが、
今回 被災地に持っていくのを忘れてしまいました。
申し訳ございません。次回は必ず持って行きます。


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